Day 3:ガソリンを待つ ― 風の音を聞く時間
目が覚めたらテントの中だった。昨夜は不安か寒さで2、3回中途覚醒した割には、すっきりとした感覚だった。 時計を見ると6時過ぎだった。
草原の朝 ― 近づいてくる犬たち
朝食として紅茶を入れ、クッキーを一緒に食べた。ぱさぱさのクッキーを紅茶で湿らせながら、 景色を見てボーっと食べていた。
テントから見える朝日は、太陽本来のエネルギーを感じさせる眩しさだった。この広い草原に、また今日も光を与えるのだ。 俺にとっても、追い風のように感じる。
周囲を見渡していると、一つ向こうの斜面に犬が3匹見えた。モンゴルの犬はでかい。 どうか近づいてこないでくれと願ったが、10分後にはテントのすぐ近くまでやってきた。
テントの周りには動物の骨が落ちていた。たいした期待はできないが、犬たちにとっては餌場なのだろう。 3匹はじゃれ合いながら近くを通り過ぎていった。刺激を与えないように、静かに日記を書いていた。
日記を書き終えると8時を過ぎていて、片付けと野糞を済ませたら8時半だった。 昨日ここまで登るときにこけた斜面を嫌い、逆側から斜面を下って国道の舗装路を目指す。
ガソリンを待つ ― 柵の外に並ぶ列
ウランバートルからここまで200km近く走っており、なるべく早くガソリンを補給したかった。 道は昼間と比べると車は少ない。気温は低く、太陽が早くのぼってほしい。
9時半ごろガソリンスタンドを見つけた。待ち列ができているので、俺もそこに加わる。
スタンドの屋根の下を見ても店員はいない。先頭の車はガソリンスタンドの敷地に入っておらず、 ロープが張られた外側で待っているようだ。こんな状況は日本ではありえないが、 どうやらガソリンの補充待ちであるらしい。
暇を持て余した、歯の黄色い長靴のおじさんが話しかけてきたが、まったくわからない。 その仲間も来たが、100%モンゴル語で話しかけてくる。こちらとしても暇なので、スマホの通訳アプリで文字を見せる。 この店はいつ開くんだと聞こうとするのだが、文字を見ても何の反応もない。 質問に対して答えを持ち合わせていないのか、文字を読む気がないのかわからない。
そんな中、おっさんの言っていることで理解できたものもあった。意思疎通をあきらめてお互いボーっとしているとき、 道を3台のバイクが通り過ぎた。いかにもツーリング向けの大型でかっこいいバイクだった。 それを見たおっさんが、あのバイクはいいな、お前のは安そうでだめだ、と言った。それだけは理解できた。半笑いだった。 そういう貶すタイプのジョークがモンゴルにもあるのだなと、少しうれしくなった。
本を読んだりして1時間は待っていた。その間、あきらめて車列から抜けていく車もちらほら。 ガソリンの残量を見る限り、どこまで最悪の状況を考えても50kmは走れそうだった。 次のスタンドまでは地図上では30km。まあ、それが営業しているのかわからないのだが。
まだ給油は、最初に満タンにした一回だけで、燃費もわからない。タンク容量は12〜15L程度はありそうなので、 燃費が20km/L程度だと危うい。燃費を知るためにも、ここらで給油をしておきたかった。 まあ色々考えていたのだが、結局あきらめて進むことにした。時間もロスするし、最悪誰かに助けてもらえばよい。 携行缶を持っている人も割といるようだ。
走り出すと、次の町まで30kmだという表示の青看板がある。もうここからは神頼みだ。もしダメならモンゴル人に頼む。
安そうなバイクのくせにガソリンのメーターがついている。安いバイクにはメーターがないものも多く、 そういうものは燃費と走行距離から残量を計算する。ただ、このバイクのメーターは非常に疑わしい。 5目盛りのデジタル表示で、ガソリンが減るにつれて一目盛りずつ減っていくようだ。 減っていくはずなのに、200km走ってなお4と5を行き来している。200kmも走ってそれはありえんだろうということで、 信じることをやめた。
ドキドキしながら走った。
2軒目のスタンド ― 「風の音を聞いているんだ」
どうにかして30km走り、スタンドについた。ここも車が10台以上並んでいた。先頭を見ると、給油はしていない。 店員はいるのだが、バイクや車から降りたおっさんとしゃべっているだけだ。 いつ給油が始まるのかわからないが、さすがにここでは入れようと思った。
待っているとき周囲の人を観察していて、モンゴルの人々は暇な時間にスマホをあまり見ないようだと気づいた。 日本をはじめとして大体の先進国、というか最低限スマホを買える程度の経済事情にある国なら、 こんな状況ではほとんどの人がスマホを見ているはずだ。 モンゴルの田舎で圏外なんじゃないかと言われそうだが、しっかり4Gが飛んでいた。
人々は思い思いに草原を眺めたり、明らかに外国人旅行者のくせに安そうなバイクで律儀に列に並ぶ俺を観察したりしている。 (ほかのバイクは列を気にせず、スタンドの屋根の下まで行く) スマホの普及率が低いのか、もしかしたらモンゴル語のコンテンツがあまり充実していないのかと考えたが、 ボーっとする能力が高いのかなと思ったりした。
モンゴルが題材の何かの本に、ゲルに住んで遊牧をする家の少年が出てきた。 彼は草原をじっと眺めていて、そこを訪ねていた日本人が「暇じゃないの?」と質問する。 すると少年はこう答えた。
風の音を聞いているんだ。
その一節は、俺の心に深く残った。その言葉を確かめにモンゴルに来たのかもしれない。
ガソリンスタンドに話を戻すと、待ち始めてから1時間もたたないころ、店員に動きがあった。 発電機を回して、道の脇に立つ価格表示の看板に通電した。数字が3つ表示された。そうして給油が始まった。 ガソリンのタンクローリーがやってきた様子もないので、ガソリンあったんかよと思った。 もしかすると一定量は貯めておいて、次の補充がもうすぐ来ると分かれば販売を始めるのではないか。 どういう運営をしているのかはわからないが、そう想像した。
順々に列は進んでいって、俺の番がやってきた。店員は若い女性で、20才くらいだろうか。 若者のほうが外国人にフレンドリーな気がする。笑顔で対応してくれた。
レシートを見ると、給油量は6.33L。1Lあたり3,160₮(約158円)で、合計20,000₮(約1,000円)だった。 ここまでの走行は約240kmなので、燃費は約38km/Lと予想以上の好燃費だ。 航続距離は400kmほど行けそうだということが分かった。大きな安心感を得ることができた。 価格は、Day 2の補足で触れた8月中旬の平均価格(3,040₮)より少し高い。燃料不足の背景もそちらに書いた。
うきうきで音楽を聴きながら走り出す。道の脇には羊の群れが広がっていた。
丘の上の寺院で昼食
腹が減ってきていたので、この先どこかで昼飯を食べようと思う。 少し走ると、道の右側に小高い丘があり、その上に寺院が見える。
舗装路から外れ、轍を通って斜面を登りきると、寺の前に出られた。丘の上からはあたり一帯を見渡せて、 ここに寺を建てたくなる気持ちがよくわかった。せっかくなので、ここで昼飯をつくって食べることにした。
日向で調理していると、いつの間にか気温が上がり、汗ばんでいることに気がついた。 上着を2枚脱いでも、影に入りたくなるほどだった。(フリースの上にパーカー一枚でちょうど快適)
俺のほかに、2人組のバイクツーリスト(おそらくロシア人)や、4人組にガイドがついた一団もやってきた。 しかしどちらも景色をみて、さっさと丘を降りていった。
寺の外壁は白く塗られ、建物の中には入れないようカギがかけてあった。 ボーっとしていると、なにか音楽が聞こえてくる。でもそっちを見ても、というか方向もよくわからず、何も見つからない。 風の音が音楽のように聞こえたのかもしれないと感じ、少しうれしくなった。
緑の連続と、古都ハラホリン
昼食を終え、再び走り出した。草原と丘は、連続的で境界線もない、さまざまな緑に覆われている。 夏の青空と馬に似合う緑、秋の始まりの空気と羊に似合う緑、小川のふちに映える穏やかな緑。 丘は進んでいくにつれて、なだらかさや頂上のとがり方に変化が出てくる。
砂漠も通った。山は岩がちで黒っぽい。
そうして午後5時ごろ、カラコルム(ハラホリン)の町へ入った。
- チンギス・ハンが1220年ごろに都の基礎を置き、二代目のオゴデイが1235年に宮殿の造営を命じた(翌年完成)。
- 首都だったのは1235年から1260年まで。フビライ・ハンが大都(現在の北京)を拠点にすると、地方の中心地になった。
- 元が滅んだあと、1372年と1380年に明の軍に攻められて破壊され、16世紀初めに放棄された。
- カラコルムの跡やエルデネゾーを含む一帯は「オルホン渓谷の文化的景観」として、2004年にユネスコの世界遺産に登録されている。
通り過ぎて先を急ごうかと思ったが、世界遺産があるというような情報を思い出して、ここにとどまることに決めた。 なにより目についたオルホン川が美しく、河原でのキャンプに心弾んだ。
エルデネゾー ― 世界遺産の寺院を歩く
ガソリンを補給して、世界遺産に登録されているエルデネゾーを訪れた。
入場券は10,000₮(約500円)。日本人観光客もいた。寺の建造物が10個ほど残っており、 今でも地元の人の祈りの場として使われている。
メインの建物を軽くスケッチしたり、端から端まで歩いたり。夕暮れ時に来たが、西日に照らされる姿はよかった。
駐車場の近くには、台に止まった鷹がいた。土産物屋で金を払えば、腕に載せてくれるようだった。
隣国に恵まれていれば、もっと遺跡は残っていたかもしれない。モンゴル全体として、とてつもない歴史を抱えている割に遺跡は少ない。 政治的な理由があったのか、もしくはモンゴル人の遊牧民的な性質が、過去を物質として今に持ち越さなかったのかもしれない。 遊牧をする上で、物は多くできない。
過去の思い出に、良い意味でも悪い意味でも縛られないのだと思う。仏教っぽいかも。
あとから調べてみると、エルデネゾーが今の姿になった経緯には、政治が深く関わっていた。
- 1585年に、ハルハ・モンゴルの支配者アブタイ・サイン・ハーンが建てた。建材には、近くのカラコルムの遺跡の石が使われた。
- 外壁には、聖なる数とされる108基の仏塔を並べる設計だったが、その目標は達成されなかったとみられている。
- 1939年に、当時の指導者チョイバルサンが寺院の破壊を命じた。三つの小さな寺と、仏塔の並ぶ外壁が残った。
- 1947年に、残った寺は博物館になった。1990年に共産主義体制が崩れると僧侶に返還され、礼拝の場として復興した。今は現役の仏教寺院であり、観光客向けの博物館でもある。
オルホン川のほとりで野営
遺跡を見たあと、隣接する土産物屋街で土産を3つほど買った。スーパーも近くにあったので、立ち寄ってリンゴとジュースを買った。
オルホン川のほとりはキャンプ場となっているようで、安心して川のすぐ目の前にテントを張れた。
水は透き通っており、足をつけると冷たくて気持ちよかった。臭い足をよく洗った。 この夜もパスタをゆでて晩飯とした。
近くの保護区のゲートには看板があり、入域料がかかることが書かれていた。 係員のような人はおらず、俺は入域料を払っていない。
- Дархан цаазат газар(厳正保護区):個人は国内5,000₮・外国20,000₮、乗用車15,000₮
- Байгалийн цогцолборт газар(自然複合地域):個人は国内3,000₮・外国15,000₮、乗用車9,000₮
近くで22時ごろまでパーティーをしている人たちもいて、モンゴルの現代的な曲をテントの中から聴いていた。 一晩中やるのかと不安だったが、常識的な時間に帰ったようで、静かに寝られた。
この日はバイクに乗っている間、東畑開人先生の『野の医者は笑う』を聞いていた。