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🇲🇳 MONGOLIA TRAVEL SERIES
Travel Mongolia

Day 4:マトンリブにはコーラがよく合う ― ハラホリンからテルヒンツァガーン湖

夕日に染まる湖畔の草原に止めたバイクと張ったテント
夕日を追いかけて着いたテルヒンツァガーン湖。水際にテントを張った。

朝はあまり寒くなく、寝袋からもテントからも抵抗少なく抜け出せた。朝食としてリンゴをかじりながら日記をつけた。

川沿いの朝 ― 焦りに気づいたら、ゆっくり書く

この日の予定としては、9時にカラコルム博物館がオープンするのでまずはそれに合わせて行って、 1時間ほどで十分見られるということなので10時から本日の行程を走り出すつもりだった。 目的地は300kmほど走った先にあるタリアト郡のテルヒンツァガーン湖である。

オルホン川沿いの野営地から見た朝日と、手前のテントとバイク
野営地から見た朝日。奥に橋と前日泊まった町の明かりが見える。

目が覚めたのは7時だったが、ゆっくり日記を書いていたらいつの間にか9時前だった。 時間がかかりすぎたように思うだろうし、俺もそう思う。実際日記を書いているとき、少し焦る気持ちがはやりだす。 そういう心理に気づいたときは意識的にゆっくりと文字を書き、ペンを持つ手を着実に進めることにしている。 そのような焦りは旅を急ぐためのものではなく(本当は急ぐ必要もないのだから)、書くことに飽きているんだろうと思うから。

ペンで文字を書くのは遅い。速さはパソコンでタイプする半分もないだろう。でも旅の日記に関してはこの方がいい。 物理的にパソコンは持ち運びに重いし、精神的にも意義的にもこの方がいい。 愛読する高野秀行氏も旅では毎朝前日のことを思い出して記録をつけるらしい。正直言うと俺がこのように日記を書く大部分は高野氏への憧れだ。 あとこの旅中、バイクに乗りながら聞いている東畑開人氏の本、『野の医者は笑う』も、高野氏の本づくりを参考にしているらしい。

カラコルム博物館 ― 元寇のパネル展と石像

9時過ぎに博物館の駐車場に到着した。この博物館は日本が支援をして作ったらしく、見ないともったいない気がした(日本の税金が使われたから?)。 お土産も買えるしちょうどいいだろう。

チケットは学割が適用されたが、カメラ撮影をするというと追加料金で割と取られた。

博物館の受付に置かれた料金表。大人15,000、学生10,000、写真・動画撮影は追加35,000トゥグルグ
受付の料金表。撮影は別料金でしっかり取られる。
博物館前に立つ石碑と、それを囲むように歩く来館者たち
エントランス前の石碑。奥に見えるモダンな建物が博物館本体。

内部はホールが一つに加えて企画展がある簡素なつくりだった。この地域の歴史、出土品が飾られていた。 オゴタイ・ハンがメインとして解説されている印象だ。カラコルムという場所の歴史的重要性の上でこの博物館があるのだろう。

展示ケースに並ぶ、テュルク系の人物をかたどった2体の石像
6〜8世紀のテュルク系石人像。
台座の上に展示された、文様が彫られた印章
出土品の一つ、印章。

展示の一角には、モンゴル語のアラビア文字で刻まれたペルシア語の碑文もあった。少しカラコルムという場所について解説されていたので、 帰ってから読んだ日本語の解説パネルの内容を補足しておく。

アラビア文字のペルシア語が刻まれた、アーチ形の頭部を持つ石碑
カラコルムのペルシア語碑文(1341年)。
碑文の内容を説明する日本語の解説パネル
碑文の内容を説明する日本語の解説パネル。
補足:カラコルムのペルシア語碑文 館内の日本語解説パネルによると、この碑文はカラコルムにあった「ハーンカー」と呼ばれるイスラム神秘主義(スーフィズム)の修道場建設にあたり、 街の指導者たちから許可が与えられたことを伝えるもので、エルデネゾー寺院の敷地内から発見された。
  • アラビア文字によるペルシア語の本文には、イスラムの神とカラコルムの街、そして修道場の建設に尽力・寄付した人々の名と金額が記されている。
  • 1686年にチベット仏教の高僧ザナバザルによってソヨンボ文字が作られて以降、その象徴である「ソヨンボ」が碑文の上に追加で彫られた。
  • 碑の裏側には仏教の真言「オン・マニ・パドメ・フム」が、後世になってサンスクリット語・チベット語・モンゴル語で重ねて刻まれている。
ここに書いたのは館内の解説パネル(日本・モンゴルの共同「碑銘」プロジェクト、1998〜2007年調査)を2026年8月に撮影・翻訳した内容。

企画展はもろ日本関係のことだった。元寇のあった長崎の島についてのパネル展であった。解説はモンゴル語に加えて日本語で書かれており読む労力が少ない。 旅先で日本人と偶然出会って仲良くなったような気分で解説を読んだ。

フビライ・ハンの水軍と鷹島海底遺跡を紹介する日本語・モンゴル語併記の企画展パネル
企画展「フビライ・ハーンの水軍 ― 鷹島海底遺跡パネル展」。2026年6〜9月に開催中だった。
展示室の配置を示す館内図。モンゴル語・英語・日本語の3言語で表記されている
館内図まで日本語表記があった。

全体をぐるっと見て気になったものを写真に収め、ギフトショップで土産を買った。品ぞろえは大したことがない、 もっと自然に絡めた作品を置いてくれたらいいのに。

外に出て改めて建築として博物館を見ると、かなりモダンでデザインは洗練されている。日本や中国の現代的な博物館を小さくしたような感じである。 何気にうれしかったこととして駐車場にゴミ箱があり、キャンプ中に出て増えてきていたゴミを捨てられたのでありがたかった。

鉄柵の向こうに見える博物館の建物と、手前の駐車場に置かれたゴミ箱
駐車場から見た博物館。モダンな三角屋根の建物。

駐車場の隅には、もう一つ石碑があった。1246年、教皇インノケンティウス4世の使節としてモンゴル皇帝のもとへ向かった一行に同行し、 カラコルムに到達した最初のポーランド人聖職者ベネディクト・ポーラクを偲ぶ碑だという。

草地に立つ石碑と、その奥に積まれた石材、遠くの博物館の建物
ベネディクト・ポーラクを偲ぶ碑。ポーランド語とモンゴル語で刻まれている。

予定通り10時にバイクにまたがりカラコルム(ハラホリン)を出発した。本日は300km走破を目指すということで気合が入る。 6時間程度は走らなければいけない。

丘陵を走る ― 羊とヤギが描く一枚の絵

少しずつ緯度と高度が上がり気温が下がっていく。走行中、景色を見ているとこれまでより印象に残る山や丘が増えた。 丘陵に群れる羊やヤギが青の背景に浮くような緑の上に白と黒の別の彩色を添える様子は、一枚の絵画を完成させていた。

広い丘の斜面いっぱいに散らばって草を食む羊とヤギの群れ
丘の斜面いっぱいに散らばる羊とヤギ。

この日の午前はPixiesを聞いていた。どの曲も草原の中の疾駆に合うのだが、いくつかはバイクが馬に変わるような感覚を得られた。

走行距離も長く、草原にも慣れてきたため道路上の小さなモニュメントにも積極的に注目した。 100〜200km間隔でガソリンスタンドもあった。見かけるたび給油する。一回の給油量は3〜4Lほどでガソリンへの不安感は解消された。

街灯が並ぶ広場に立つ、ホトント郡の入り口を示す石碑
通り過ぎたホトント郡の入り口の碑。

13時頃、チェチェルレグという大きな町に入った。何の変哲もない草原の中にいきなり現れた。モンゴルの町や村は脈絡なく現れる感じがする。 平地の少ない日本は山間部や海の近くにしても、まあここが栄えるよなと理解しやすいのだが、こちらでは特に大きな河川の近くでなくとも町があるので考察し甲斐がある。

ガソリンスタンドの先に広がる、山あいの町チェチェルレグの街並み
草原の中に唐突に現れたチェチェルレグの町。
街路樹の並ぶ目抜き通り(動画・音が出ます)。

マトンリブにはコーラがよく合う

昼時だったのでここで飯を食べることにした。マトンでも食べたい気分だったのできれいなホテルのレストランに入った。 メニューには期待通りマトンがあって、いくつかある種類の中からマトンリブを注文した。

メニューに載ったマトンリブの写真。付け合わせのじゃがいもや紫キャベツと共に盛られている
注文した「Хонины чанасан хавирга」(マトンリブの煮込み)、27,900₮。

15分ほど待って出てきたのは、一枚のプレート上にいかにも肋骨という姿のマトンリブと、それを覆うようにかけられたやわらかく水分多めのクレープのようなもの。野菜もあった。

クレープをよけ、まずはリブをナイフで切って口に入れる。味、香り、食感はすべてが理想の羊で、俺はこれを食べにモンゴルに来たのだと叫びたくなる。 冬を超えるためにつけた豊かな脂は他の家畜とは一線を画す。脂っこいのだがその独特の香りを味わっていれば、いつまでも口内に居座ってくれていてもかまわない。

骨だけになったマトンリブと、フォークとナイフが置かれた皿
骨まできれいに食べた。

飲み物を頼んでいなかったのだが、一口飲み込んですぐに店員を呼びコーラを注文する。この脂にはコーラしかない。 油っこいものにはコーラを合わせるとよいという一般常識だが、その油の最高峰は羊の油である。決して揚げ物に使われるサラダ油でも、余分に絡められたバターでもない。 他のどんな動物由来の油分でもなく羊がため込んだ脂肪なのだ。これが1,000円程度で食べられることに感動とともに感謝が生じる。羊食文化、日本でもっと盛んになってくれ。

満たされて店を出て、併設されていたコンビニで歯ブラシとヤギのジャーキーを買った。これもまたうまかった。 残り200kmだ、と意気込んで再び走り出す。

ヤギのイラストが描かれたジャーキーの袋を持つ手と、奥のミネラルウォーターのボトル
コンビニで買ったヤギのジャーキー。

峠のオフロード ― 波乗りのように穴をよける

すると、すぐに山間の峠越えの道になっていった。少し先を見ると道路の舗装がなくなっているのが分かった。

ぼこぼこの砂利道であり完全にオフロードだ。ただの草原より性質が悪く、穴が虫の巣のように開いており落ちてしまう。恐れを感じるほどの深さだ。 常に不安感がある。この先ずっとこんなオフロードなのかと想像したらここまで3日間の道を引き返すことも脳裏をかすめる。 少なくともこんな道、今日中に200kmは絶対に無理だ。俺が出せるスピードはせいぜい20km/hであり、単純計算で10時間かかる。

穴だらけの砂利道の峠(動画・音が出ます)。

追い越していく車と対向車が巻き上げる砂煙を浴びながら穴ぼこの道を波乗りのようにこなした。普段趣味として川下りをするが、 船で瀬という連続して波立っているところを超えるときの感覚に近かった。あれも岩とかに入ったら沈没してしまいそうな波をよけて、船体のコントロールが必要なのだ。

懸命に路面と格闘していると、峠は上りが下りに転じた。気の抜けないのは変わらないが木々の隙間から草原地帯が見えた。その間を走る路面は舗装されているようである。一安心した。 ぼこぼこの未舗装路は覚悟していたし、一種のアトラクションとしては楽しいのだがもしどこかでバイクが壊れたらと考えると精神は張りつめて疲れてしまう。同様の峠越えがあと2回あった。

切り立った岩の崖の間を流れる川と、その奥に広がる草原の丘
峠道の途中で見えた渓谷。

午後は東畑氏の本をまた聞いていた。途中、フロイトの引用で人生は反復だという言葉があって、失礼かもしれないが強く共感した。

峠越え以外はこれまでと同じような草原の中のアスファルト舗装路でありスムーズに進んだ。ただし予定は遅れ、湖に着いたのは午後7時20分だった。

夕方の光の中、屋根だけのガソリンスタンドで給油の順番を待つ人々のシルエット
夕方に立ち寄ったガソリンスタンド。

最後の方は太陽が沈むのを追いかけるように西へ進路を取り、バイクに乗った気楽なメロスであった。

テルヒンツァガーン湖畔でカップ麺と馬

湖の水から3mほどの所にテントを張って、カップ麺を食べた。豚骨トマトで珍しいと思ったが味もよかった。モッツァレラを入れると想像通り相性がぴったり。

夕日を浴びながら手に持つ、豚骨トマト味のカップ麺
この日の晩飯、豚骨トマト味のカップ麺。

水辺で草を食べている馬が段々と近づいてきているのを見ながらラーメンを食べる。賢いのでテントと俺には近づかない。

夕暮れの湖畔の草地で草を食む2頭の馬
湖畔で草を食む馬。少しずつ近づいてきていた。

9時ごろテントに入り、空港でダウンロードしていた『VIVANT』の1期を見た。モンゴルに行くと言ったときVIVANTの影響?と何度も聞かれ、 そんなミーハーじゃないわと答えていたが、実際にモンゴルに来てVIVANTを見ていないのは少し損な気もした。 そういう面倒な自意識も優しく受け止めてくれるような自然の中で少しは素直になれたのか、VIVANTを見る気になった。

この日のルート。黄色い点は停車した場所(博物館、チェチェルレグでの昼食、峠道での小休止)。赤い丸はこの日の終点(テルヒンツァガーン湖畔)。ルートの位置は約1km精度に丸めてある。
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