Day 1:ウランバートルへ ― 移動こそが旅
一人旅には本が必要なのと同様に、考え事が一つぐらいあるとよい。 一年ほど前に解決したと思っていた問題が、きっかけがあって出発直前に思い出され、 自分の中で予想以上に整理がついていないことが分かった。 移動の多い一人旅では、こういう考え事が前に進みやすい。
朝 ― 石橋から関空へ
関空発の飛行機は定刻朝10:00ごろ。家を出て、阪急電車、梅田からのシャトルバスで関空へ向かう。 第二ターミナルまで乗っておくべきところを第一で降りてしまった以外はトラブルもなく順調だった。
チェックインの際、窓側か通路側か選べたのだが、心の中の景色を見たいという本能の少年性と、 トイレへの心配と隣席の客への干渉を計算する理性の大人性で、後者が押し勝って通路側の席をお願いした。 本能の弱まり、一種の老化というか成長を感じた。
関空 → 仁川 ― 浮いた存在としての一人旅
関空から仁川への航路は若い女性客が多い。出発の時からすでに薄汚れていて、 手元にキャンプ用のマットとバイクヘルメットを持っているような一人旅の男は、 この機内では構造上余ってしまった一席を埋めるだけの存在である。
機体は定刻通りに動き出し、大阪湾の空へ。まだまだ日本の上空なのだが、 体はいつもの場所から離れていっていることを感じる。心もいつもの場所、状態から放たれていくようだ。
乱気流にはいって機体が揺れる、振動が大きくなる。過去を思い出して心も乱れてくる、素直にその乱れを見つめられる。 事実を理性で受け止める前に、一旦感情の中を通す。悲しむべきことを悲しんで、涙がでて自然なことには涙を流す。 ゆっくりと、仁川に近づけば近づくほど、大阪から離れれば離れるほどその過程は素直で、内力も外力もない、 ただ広く薄くあるがまま流れるようになっていく。
周囲は、消費、享楽を目の前にして、彼女らの平静の中では韓国を楽しまねばならぬという猛々しい休暇の使命感が 高揚しているように見えた。
仁川空港 ― 4時間待ちと激辛ランチ
仁川空港に到着して、ウランバートル行のフライトを待つ。4hほどあった。昼食を食べた。 麺類で、激辛かつ野菜ばかりだったのでインドかと思うような料理。量も多く、付け合わせのキムチ等すべて辛い。 どうかしていると思った。
出発ゲートの前の係員にチェックインを頼み、近くの売店で名物だというポップのあったバナナミルクを購入した。 残りの時間はゲートの前で寝ていた。
目を覚まして時間を確認する。目覚ましを設定していなかったので飛行機が飛んだあとの可能性も想定したが、 まだだった。その後搭乗開始のアナウンスをうけ、他の乗客とともに機内へ。
機内食 ― ビーフシチューとモンゴル人の好み
飛び立ってすぐに機内食が提供された。メイン、丸パン、サラダ、コーラをもらった。 メインは日本と違う牛肉のみのビーフシチューで食べ応えがあった。 ビーフorチキンで周囲のモンゴル人はチキンを選ぶ人が多く、モンゴルでは牛より鳥の方が珍しいのかもしれない。
食後には韓国製のメロンのアイスバーが配られ、モンゴルへの期待が高まってきた。
とうとう日本から本格的に離れてきたという感覚で、普段生きている中で自分を縛っている自分自身でかけた 心の制限もゆるくなっていった。思考と体の障壁が薄まっていき、この旅行を通して素直な自分になれるかもしれない という希望をもった。日本に帰ってからは、今までより自由な心で生きられるようになっているといいなと。
着陸態勢 ― 雲の切れ間に見えた草原
今回は窓側の席を選んでいた。ウランバートルに近づくと雲も減り、大地の様子が見えた。 大地はなだらかな草原である。光の加減で黒味がかった緑の上に雲と、砂場を整地した後ぐらいの起伏の影がある。 草原の上には人工物が何もない、影と起伏しかないため縮尺がわからない。これがモンゴルなのだと思った。
入国 ― グレーな免許の心配は杞憂に
UB(ウランバートル)についたら、イミグレでは何も聞かれず通過。バイクの運転がグレーなので、 突っ込まれた時の解答も用意していたが必要はなかった。
到着ロビーに出て、6万円分両替、ヨーグルトのドリンクを買って寝床を探す。今夜は空港で寝るのだ。
空港で夜を明かす ― 奪われた寝床
出発ロビーにはいくつも寝やすそうな椅子があってそのうちの一つに横になっていた。 20時頃は人も混んでいるわけではなく、これは快適に寝られると安心していた。 しかしその後人が増えだし、俺のベッドも気づいたらモンゴル人のお尻で領土が奪われていた。
渋々、椅子は明け渡し、夜中は使われない国内線の保安検査場の前に行った。 登山用のマットを床に敷き、寝袋に入って寝た。草原でキャンプする心持ちできているため、準備はよかった。